〜雨はふるふる〜【20世紀文学と岬陽館】  


三浦三崎、城ヶ島そして岬陽館は度々20世紀日本文学の舞台となり、また昭和を代表する文豪達の執筆の場にもなりました。そんな日本文学と岬陽館の歴史を振り返ってみましょう。
井伏 鱒二 井伏 鱒二(1898-1993)
氏のエッセイ「釣師・釣場-三浦三崎の老釣師」は当時館主との交流が発端となっている。取材、釣、三崎弁の通 訳としてお手伝いをした。
お帰りに揮毫をお願いしたところ、氏の名訳詞「花発多風雨人生足別離(ハナニアラシノタトエモアルゾ サヨナラダケガ人生ダ)」をしたためられた。

北原 白秋 北原 白秋(1885-1942)
氏、25歳の時より度々投宿された。
あまりにも有名な「雨は降るふる城ヶ島の磯の利休鼠の雨が降る…」の着想は岬陽館の窓から時間を忘れ眺めていた頃に得られた物と思われる。

井伏 鱒二 小島 直記(1919-)
月刊誌の中で「三浦半島は晩秋から早春がベスト、そのベストシーズンに三浦三崎ならば岬陽館という良いホテルがあって…」と書かれている。当館4代目当主と同年代にして親交が深い。

井伏 鱒二 里美 惇(1888-1983)
昼食にご来館されたお帰りに「甘 酸 ? 苦 辛 五味」と色紙にしたためられ、丹念に色紙帳を眺められていた。

井伏 鱒二 坪田 譲治(1890-1982)
昭和32年発行の月刊誌所載の「女のこと」という小説に「2、3日か4、5日 岬陽館とか言った旅館に泊まってゐて、彼女と城ヶ島へ行ったり、油壺へ行ったり…」と取り上げている。

林 房雄 林 房雄(1903-1975)
前記、井伏鱒二氏の「釣師・釣場」を拝見されてご夫婦にて釣り道具持参で訪れた。

山本 周五郎 山本 周五郎(1903-1967)
昭和30年頃或る初冬の夜、突然来館された。その頃既に「赤ひげ診療所」「青べか日記」等で文名高かった作家であった。

与謝野 晶子 与謝野 晶子(1878-1942) /鉄幹
大正14年2月に宿泊された。
「山かげの夜の三崎の街よりも暗きところに嘆く海かな」
「磯に出づ明るき波の行きかよふ赤羽根岬の洞のかたはら」と詠まれている。
50音順敬称略

【補遺】「若い燕」
瀬戸内寂聴の「美は乱調にあり」と題する小説に、当時26歳の平塚らいてうが、城ヶ島の岬陽館に滞在していた5歳年下の恋人奥村博史に頻繁にラブレターを送ったが、その文中にて博史を「若い燕」になぞらえて思いの丈を綴ったのが世に知られ、年上の女性の愛人である若い男性を形容して「若い燕」という呼称がその後、流行語として長く使われた。
小説とはいいながら、この一編は明らかにノンフィクションとして書かれているので、若年の画家奥村氏が岬陽館に宿泊した事は事実であろう。

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国際観光旅館 岬陽館
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